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羽田浦(東京都大田区羽田) [祟り伝説]

 

 

 

私が幼少の頃、朝早く聞こえる浅蜊蜆(あさりしじみ)売りの声「あさり~ しじみ~」が

「あっさり~死んでしまえ~」と聞こえた。





羽田で捕れた浅蜊、蜆言ってな、

母は砂が多いいとぼやいてた、

きっと捕り立てだったからだろう。

 

 

その昔、今の羽田空港の地(羽田浦)に「穴守稲荷神社」が有った。


猟師町あったが江戸時代元禄年間に入ると田地が広り、

文化元年 「風浪が作りし穴の害より田畑を守り給う稲荷大神」、

水害から田畑を守るお稲荷さんとして五穀豊穣の農業信仰となった。

 

 








明治時代には「穴守」から「女性の病気」を守るとされ「花柳界」の人々に信仰されて来た。

 

 

昔の地図を見ると水泳場、海水浴場、庭園、競馬場も有ったらしい、

稲荷橋から穴守稲荷まで鳥居が一キロも並んでいたと云う。
 

今の江ノ島の様なところだったのだろうか?

 

 

 

 

 

終戦直後の昭和20年9月21日、

進駐軍は軍用飛行場建設の為、


羽田浦の住民に48時間以内の強制撤去を命じた。




当時ここには1200世帯、3000人余りの住人が生活していた。
 




なぜか、赤
鳥居だけが取り残された。

昇る朝日を見ながらこんな物語が浮んできた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P1015693-11.jpg 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝もやの中 船を出す。



羽田で獲れる魚は「江戸前の魚」と言われ人気が有った、


松吉は父ちゃんが仕掛けて置いた「アナゴの筒」を取り込むのを手伝い、


昼間は神社の参道にある親戚のおばさんのお土産屋さんで売る簪(かんざし)を、

貝殻で作っていた。

 

 

 

 

 

 

 

暇が有れば近くの飛行場に離陸する飛行機を見に行っていた。




年頃の松吉はお店に来る「花柳界の女性達」が気に成ってしょうがなかった、


ある日、千代という娘が旦那さん(パトロン)と一緒にお店やって来た、


松吉が作った簪を手に持った、

「それ僕が作った簪です!」





「綺麗な簪ね これ下さいな」

たわいもない会話が二人の出会いだった。



海水浴場で遊ぶ千代の姿はとても眩しく思えた。
 

 

 

 

松吉には自分の手の届かない所にいる女(ひと)だと云う事は判っていた。


夏の暑い日 千代は旦那さんに船に乗りたいとせがんだ、

松吉は船頭をかって出た。




千代は泳げない旦那さんに船の上から手を振る、

松吉と二人だけの時間を持ちたい千代の思惑だった。




上空を行く飛行機を見上げながら「飛行機に乗ってどこか遠くに行きたいな」と千代は呟いた。



夢のような時間はあっと言う間に過ぎた。

 

 

 

 

 

 

 

 

日中戦争が始まると頃になると羽田浦にも軍事工場が立ち並ぶように成り、

松吉も工場で働くことになった。

 

 

 




いつの日か千代も羽田浦には来なくなっていた。




松吉は千代のことが忘れられず働いて貯めたお金で「遊郭」に探しに行くもお金が足らず諦めかけた、

偶然出会った旦那さん(パトロン)のはからいで座敷に上がることが出来た。

 

 

 

そこで、松吉は、千代が明日見受けされる事を知らさる。




その夜二人が駆け落ちを決行するが追い詰められ「穴守神社の赤鳥居」の前での再開を誓うも、

千代は引き戻され、松吉は捕えられてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 





失意の中 松吉に「赤紙」が届いた。




松吉が派遣された旧満州の地はとてつもなく寒く、
外でオシッコをすると地面に着くまでに凍った。




そんな空気まで凍りつく様な冬の日 松吉の所属する部隊に奥地の村を制圧するよう命令が下された。

 

 

 

20人前後の部隊では溢れ出てくる民兵を抑える事が出来ず、

運良く窪みに落ち難を逃れた松吉一人を残して全滅した。

 

 

 

そんな戦闘が行く度か続き生き残った松吉は軍曹まで昇りつめた。


「本当に俺は本当に運が良かった」思った。

 

 

 

昭和20年終戦を迎えるも大陸にいた松吉は直ぐには帰還出来ず港に引き上げ船が着くまで

待たなければならなかった。 




ようやく故郷の風景を思い浮かべ帰還するも、

そこにはは「赤鳥居」だけが取り残されていた。










あれから60年1999年2月3日赤鳥居に伝えられる「祟り伝説」が又起きるのでないかと噂される中、


海老取川に掛かる弁天橋のそばに移設された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神主さんの御祈祷が終わると地元の人々が列を作り順番に「赤鳥居」に手を合わせる。




その中にあの時の同じ18歳の千代にそっくりな女の子を見かけた「そんな馬鹿な!」と思った。


その傍らに居るおばあさんと目が合った、

お互いに誰だか判るのに時間が掛かからなかった。

 

 

 

「お千代さん!」声にならない声で名前を呼んだ。

 







 

 

 

 

 

 

 

 

羽田の赤鳥居に残される「祟り伝説」はこの地を追われた人々の「怨念」が作りだした産物だろう、


今では空を行き交う飛行機の安全を守っているのだろうか?





鳥居の上には「平和」の文字が掲げられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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羽田の赤鳥居 [祟り伝説]


 

 

 

 

 

私が幼少の頃、朝早く聞こえる浅蜊蜆(あさりしじみ)売りの声「あさり~ しじみ~」が

「あっさり~死んでしまえ~」と聞こえた。




羽田で捕れた浅蜊、蜆言ってな、

母は砂が多いいとぼやいてた、

きっと捕り立てだったからだろう。

 

 

 

 

 

 




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その昔、今の羽田空港の地(羽田浦)に「穴守稲荷神社」が有った。

猟師町あったが江戸時代元禄年間に入ると田地が広り、

文化元年 「風浪が作りし穴の害より田畑を守り給う稲荷大神」、

水害から田畑を守るお稲荷さんとして五穀豊穣の農業信仰となった。

 




明治時代には「穴守」から「女性の病気」を守るとされ「花柳界」の人々に信仰されて来た。

昔の地図を見ると水泳場、海水浴場、庭園、競馬場も有ったらしい、

稲荷橋から穴守稲荷まで鳥居が一キロも並んでいたと云う。




今の江ノ島の様なところだったのだろうか?




終戦直後の昭和20年9月21日、

進駐軍は軍用飛行場建設の為、

羽田浦の住民に48時間以内の強制撤去を命じた。



当時ここには1200世帯、3000人余りの住人が生活していた。




なぜかこの赤鳥居だけが取り残された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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昇る朝日を見ながらこんな物語が浮んできた。



朝もやの中 船を出す。

羽田で獲れる魚は「江戸前の魚」と言われ人気が有った、

松吉は父ちゃんが仕掛けて置いた「アナゴの筒」を取り込むのを手伝い、

昼間は神社の参道にある親戚のおばさんのお土産屋さんで売る簪(かんざし)を、

貝殻や珊瑚で作っていた。

 


暇が有れば近くの飛行場に離陸する飛行機を見に行っていた。



年頃の松吉はお店に来る「花柳界の女性達」が気に成ってしょうがなかった、

ある日、千代という娘が旦那さん(パトロン)と一緒にお店やって来た、

松吉が作った簪を手に持った、

「それ僕が作った簪です!」 

 



「綺麗な簪ね これ下さいな」

たわいもない会話が二人の出会いだった。


海水浴場で遊ぶ千代の姿はとても眩しく思えた。


松吉には自分の手の届かない所にいる女(ひと)だと云う事は判っていた。

夏の暑い日 千代は旦那さんに船に乗りたいとせがんだ、

松吉は船頭をかって出た。



千代は泳げない旦那さんに船の上から手を振る、

松吉と二人だけの時間を持ちたい千代の思惑だった。



上空を行く飛行機を見上げながら「飛行機に乗ってどこか遠くに行きたいな」と千代は呟いた。

夢のような時間はあっと言う間に過ぎた。



日中戦争が始まると頃になると羽田浦にも軍事工場が立ち並ぶように成り、

松吉も工場で働くことになった。



いつの日か千代も羽田浦には来なくなっていた。


松吉は千代のことが忘れられず働いて貯めたお金で「遊郭」に探しに行くもお金が足らず諦めかけた、

偶然出会った旦那さん(パトロン)のはからいで座敷に上がることが出来た。



そこで、松吉は、千代が明日見受けされる事を知らさる。



その夜二人が駆け落ちを決行するが追い詰められ「穴守神社の赤鳥居」の前での再開を誓うも、

千代は引き戻され、松吉は捕えられてしまう。




失意の中 松吉に「赤紙」が届いた。



松吉が派遣された旧満州の地はとてつもなく寒く、

外でオシッコをすると地面に着くまでに凍った。



そんな空気まで凍りつく様な冬の日 松吉の所属する部隊に奥地の村を制圧するよう命令が下された。

20人前後の部隊では溢れ出てくる民兵を抑える事が出来ず、

運良く窪みに落ち難を逃れた松吉一人を残して全滅した。


そんな戦闘が行く度か続き生き残った松吉は軍曹まで昇りつめた。

「本当に俺は本当に運が良かった」思った。




昭和20年終戦を迎えるも大陸にいた松吉は直ぐには帰還出来ず港に引き上げ船が着くまで

待たなければならなかった。 



ようやく故郷の風景を思い浮かべ帰還するも、

そこにはは「赤鳥居」だけが取り残されていた。

 







あれから60年1999年2月3日赤鳥居に伝えられる「祟り伝説」が又起きるのでないかと噂される中、

海老取川に掛かる弁天橋のそばに移設された。



神主さんの御祈祷が終わると地元の人々が列を作り順番に「赤鳥居」に手を合わせる。



その中にあの時の同じ18歳の千代にそっくりな女の子を見かけた「そんな馬鹿な!」と思った。

その傍らに居るおばあさんと目が合った、

お互いに誰だか判るのに時間が掛かからなかった。



「お千代さん!」声にならない声で名前を呼んだ。





(↑物語はフィクションです事実では有りません。)

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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羽田の赤鳥居に残される「祟り伝説」はこの地を追われた人々の「怨念」が作りだした産物だろう、

今では空を行き交う飛行機の安全を守っているのだろうか?





鳥居の上には「平和」の文字が掲げられていた。










*「お散歩の写真」も宜しくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 


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